花小金井・田無・横河武蔵野校の担当、沼コーチの「僕のサッカー人生」

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沼﨑 晋コーチ プロフィール

選手歴旭高等学校サッカー部
Union San Visente
Club Atletico Las Palmas
San Lorenzo de Cordoba
横浜スポーツ&カルチャークラブ(YSCC)
セントラル中国
レノファ山口
YSCCセカンド
指導歴クーバーコーチングサッカースクール
資格日本サッカー協会公認C級ライセンス


こんにちは。ボンフィンサッカースクール花小金井・田無・横河武蔵野校の担当コーチ沼崎(沼コーチ)です。今回は僕のサッカー人生を振り返り、僕のサッカーのルーツを知って頂き、より身近なコーチとして子供達や保護者の皆様からお声かけ頂ければ嬉しく思います。

サッカーを始めたきっかけと当時の様子

サッカーチームに入ったのは小学4年生の時でした。

理由は仲の良い友達が入っていて、その友達と一緒に遊ぶ為です。

生まれつき目が悪くて、小さい時からのび太の様なメガネをずっとかけていて、メガネを外すと何も見えないくらいに目が悪かったので、

サッカーをする時もずっとそのメガネをかけながらやっていました。笑

最初は浮いているボールの距離感がわからないのと、勢いよく飛んでくるボールが怖くて、ルールもよく分からず、ボールを避けながら走り回っていました。笑

今でもキーパーに入るとシュートが怖くて体が勝手に避けてしまいます。笑

それだけでも最初は楽しかったのですが、

だんだんできない事が悔しく感じる様になってきて、できるようになるまで夜遅くまで公園でボールを蹴る様になりました。

メガネが壊れた事をきっかけに途中からかけるのが面倒になって、外してサッカーをやってみたらどんどん視力が良くなっていきました。笑

この頃からサッカーが好きになり始めたのだと思います。

キャプテン翼のマネをして、友達と道路でワンツーをしてたら、

僕の蹴ったボールが浮いてしまい、近所の家の玄関に直撃して、玄関のガラスを割ってしまった事もありました。笑

リフティングの回数も少しずつ増えていって、できなかった事ができるようになる喜びを感じる様になってからはサッカーに夢中になっていきました。

Jリーグ開幕

そんな時期にJリーグが開幕して、テレビでもサッカーを観る様になり、そこから自分の生活の中でサッカーをするのが当たり前になっていきました。

名古屋グランパスの大ファンでリネカー、ストイコビッチ、ベンゲルが大好きで、家族でグランパス戦を観に行った試合後、母親のガッツのお陰で選手達が乗っているバスからストイコビッチのサインをもらう事ができました!

妹の分と2枚サイン書いてもらって、自分の分は何故か無くしてしまいましたが妹の分を譲ってもらい、今でも大事に取ってあります。

中学校・高等学校はサッカー部に入部。

中学の部活はもちろんサッカー部!

仲の良い友達と面白いコーチのお陰で更にサッカーが好きになっていきました!

点を取ったり、試合に勝ってみんなで喜んだり、負けた時の悔しさをこの頃から感じる様になりました。

そして高校の部活ももちろんサッカー部!

行きたかった高校は家から近くてサッカー部は強かったのですが、

当時の成績だと希望校に受験しても、落ちる可能性が高いからと担任の先生から希望校を変えてほしいと親も呼ばれて話があったのですが、

当時から後先を考えていなかったので、先生の忠告も聞かずに希望の高校を受けて、何とか合格できました。笑

後からサッカー部の顧問の先生に聞いたら、本当にギリギリの合格だったそうです。笑

高校でのサッカーは毎日練習で陸上部かと思うくらいのきつい走りや怪我ばかりでしたが、仲間と楽しく3年間頑張りました!

アルゼンチンへのサッカー留学を決める。

そして高校卒業後は当時読んでいた、漫画の影響で消防士になると決めていたのですが、色々あり断念し、両親の後押しや色々な方の協力のお陰でサッカーの本場、アルゼンチンにサッカー留学する事になりました!

最初は1年だけのつもりが結果3年も行きました。

行かせてくれた両親には感謝しかありません。

言葉が通じない国での人生初の一人暮らし、試合中の乱闘や練習後の強盗事件等、色々な事を体験しました。

1番のカルチャーショックはアルゼンチンのサッカーの試合はスポーツではなくプライドをかけた戦争だという事を身をもって体験できました。笑

大変な事もたくさんありましたが、アルゼンチンでも色々な人に助けてもらいながら生活していました。

日本に帰国、サッカーを継続する。

日本に帰ってきてからもやっぱりサッカーがやりたくて、広島県や山口県、地元の神奈川県に帰ってきてからも社会人サッカーを続けました。

振り返ってみると、どんな時も家族や友達やチームメイトやスタッフ、色々な方々に支えてもらって、サッカーができていたんだなと改めて思い返しました。

でも当時はそんな大事な事に気がつけず、感謝の気持ちを忘れ、些細な事でサッカーをやめてしまい、サッカーから離れて生活をする様になりました。

ただサッカーがない毎日はやっぱり自分には楽しくなくて、今までのチームの監督やコーチ達が自分にしてくれた様に子ども達にサッカーの楽しさを伝えて、

サッカーに夢中になる子供を1人でも多く増やしたいと思い、コーチになりたいと思いました。

そして社会人チームの時に少しだけ一緒だった、小西コーチにお願いしてボンフィンで働く事ができて、現在に至ります。

サッカーをやっている時は将来自分がコーチになるなんて夢にも思いませんでした。笑

サッカーが好きで続けてこれたお陰で、色々な場所に行けて、たくさんの仲間とサッカーをする事ができました。

そして今はサッカーコーチとしてスタッフ、お客様、子ども達に元気をもらい、毎日助けてもらいながらなんとかやっています。笑

私のサッカー人生はこんな感じです。今まで好き勝手にやらせてもらえて家族には感謝しかありません!

一緒にサッカーをすれば、言葉が通じなくたって、大人だって子どもだってすぐに仲良くなれます。

サッカーを通じて子ども達には色々な事を体験をしてほしいです。

僕は花小金井・横河武蔵野・田無校の担当です。ボンフィンサッカースクールでみんなと一緒にサッカーができる日を楽しみにしています!